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自由すぎるシングルファーザーの頭のなか

自由に生きる三姉妹のシングルファーザーの頭のなかがダダ漏れ。

電子書籍を販売開始しました

このブログの内容プラスアルファが電子書籍になりました。

いつも通り子育てについては少なめで、自由に生きるための思考法を紹介しています。

整理術

家の中は意外とちらかっていない。日によって差があったりするのだけど。それでもヘタしたらアラサー独身男性のワンルームよりもきれいかもしれない。なぜちらかっていないかというと、それはいたってシンプル。モノがない。テレビ、ソファー、固定電話、デスクトップパソコン、インターネット接続機器類、プリンター、何もない。実は僕は片づけるのが大の苦手で、オフィスの机の上は芸術的に汚いとよく誉められている。そんな僕が部屋を整理する方法はただひとつ。そもそも、部屋を片づけなければならない状況に自分を置かない。つまり、モノがなければ片づけなくていいわけだ。


といっても、何も持たなければいいかというと、そういうわけにはいかない。子どもは整理整頓された部屋よりもゴチャゴチャした部屋のほうがクリエイティブに育つというどこで読んだかわからない教育論を信じている。そのため、子どものおもちゃスペースは絶望的にグッチャグチャになっている。これを創造的混沌と呼んでいる。僕の机の上が汚いのはクリエイティブに仕事をするためなのだ。わざとです、これ。


遊ぶ部屋の押入れの下段には適当に箱やカゴを置いて、おもちゃをグッチャグチャに放り込んでいる。ちなみに押入れの上段は布団を1枚だけ敷いていて、そこも子どもの遊び場になっている。クリエイティブな押入れ。


モノを捨てるにはコツがいる。捨てたくても捨てられない人は多いんじゃないだろうか。いつか使うかもー、などという話はよく聞く。でもそれ、きっと使わない。最悪、使うときにはどこかで調達できるはずだ。現代の日本では。モノを捨てるのが苦手な人たちは、ある勘違いをしている。「いらないモノを捨てる」のではない。「本当に必要なモノを残して、それ以外はすべて捨てる」が正解だ。捨てるというのは、自分にとって本当に大切なモノが何かを考えるという行為にほかならない。


家の中を整理整頓すると、押入や引き出しにモノをキッチリ詰め込む人がいる。そうすると、使ったモノを片づけにくくなったり、新たに増えたモノの居場所がなくなったりしてしまう。そして、どんどんちらかっていく。それを防ぐためには、スペースをつくることを意識する。モノを捨てると自然とスペースが増えるのだけど、そのスペースを各収納場所に分散させる。どの収納場所もある程度のスペースを確保しておく。これで多少想定外のモノが増えても対応できるし、モノを片づけるときにも楽にしまうことができる。


いったんモノを減らしたら、あとは楽に維持することができる。モノが増える状況に遭遇したら、たとえば急に何か買いたいモノが出てきたとか、それが本当に必要なのかテンションがあがるのか自問自答する。そうすると、実はそれほど欲しくなかったという結論にたどり着くことが多い。そもそも、モノの少ない家で暮らしていると、モノを欲しいと思うことも少なくなった気がする。それでもどうしてもモノが増えるときには、代わりに何かを手放せないかと考える。Tシャツを買ったときには、そういえばあのTシャツはあまり着てないなあ、とか。本を買ったときには、あの本は電子書籍が出てたから捨ててもいいや、とか。それでもそれでも、どうしてもモノが増えるとしても、前述のように十分なスペースを確保していれば大丈夫だ。


こんな感じで、子ども3人ひとり親家庭でも意外とちらかっていない家で暮らすことができている。それでも、子どもたちはやはりちらかす。でも子どもはコントロールする対象ではないので、子どもに整理整頓を強要しないこと。そうすることで、親自身に余計なストレスをためないというのもポイントだろうか。

子育てのストレス

育児。育児、育児。してない。教育方針と言えば教育方針、方針などないと言えば方針などない。自分はよく変人扱いされるのだけど、みんな勘違いをしていて、いたって普通の人間だ。普通すぎて生きるのがつらい。だからこそ、子どもたちにはクリエイティブでクレイジーな人間に育ってほしい。もちろん、それによる弊害があることは覚悟している。


子どもはみんなクリエイティブだと言うけれど、本当にそうだと思う。そのまま放っておけばクリエイティブな人間に育つのだろう。それを、あれはダメこれはダメとか、あれしなさいこれしなさいとか、こうでなければならないとか、どんどんクリエイティビティを削り取ってしまう。それが普通の親だと思う。子どもにはまっとうに育って欲しいもの。でも、まっとうでなくてもいいからクリエイティブに育てたいのなら、クリエイティビティを阻害するようなことをしないというのが親の役目だと考えている。もともとクリエイティブなのだから。だから、うちでは基本的に「ダメ」と言わない。


この育て方には親にとって良い副作用がある。子どもがやってダメなことが少ないので、いちいち腹を立てずにすむ。子どもを叱る、叱ると言うより怒る、と親はすごいストレスがたまる。いったん「ダメ」だと口に出すと、ダメの対象となる行為だけでなく、ダメだと言ったのに言うことを聞かないことにたいしてストレスがたまる。そうして、どんどんエスカレートしていく。ひとり親に限らず、このストレスが様々な問題を引き起こす。それに、子どもの言動を逐一監視していたら、時間だって足りなくなる。それがまたストレスになる。


自由にやらせておけばいいのだと思う。食べ物で遊んでいたとしても、星のたくさんついたレストランのシェフも食べ物で遊んでいるようなものなので、それはクリエイティブな体験なのだ。壁や床に落書きしたとしても、どうせキレイに使ってもなぜか敷金は吹っ飛ぶので、超若手アーティストの活動を邪魔しないことの方が重要だ。子どもたちが自分たちの絵本に落書きしている現場を見て何もいわなかったら、「なんで怒らないの!?」と逆に子どもに驚かれた。落書きしちゃいけない、みたいな大人の固定観念に縛られて欲しくないだけなのだけど。もちろん、図書館などで借りた本には落書きすべきでない。


ただし、アパートの上の階で飛び跳ねるなど、まわりの人に不快な思いをさせる行為は叱っている。「人に迷惑をかけるな」というのは大人の嘘なので、言わない。誰も得しない迷惑に関してだけ注意する。食べ物を手でつかむのはOK。いろんな国や文化があるし。でも、口を開けてクチャクチャと噛むのはNGとか。家で叱らないでよそでやったらどうするんだと言われそうだけれど、子どもはそのへんをちゃんとわきまえてる。


放置している代わりに、食事や洗濯などの家事はある程度やっている。離婚する前は食事は専業主婦の母親の担当だったため、料理のスキルはほとんどない。それでもできるだけ栄養のバランスのとれた、とれたように見える、手作りの食事を出すようにしている。洗濯していない服を着まわすこともないし、きれいに、きれいかどうかはともかく畳んで片付ける。服の山から今日着る服を引っ張り出すこともないようにしている。


このへんはシングルファーザーのプライドみたいなものかもしれない。仕事も家事もちゃんとしたい的な。でも、子どもの相手をして、たまった家事を片づけると、かなり消耗する。仕事が手につかない夜もある。余計なプライドは持たない方が賢明なのだろう。それから、家事に関してはお金で解決できることも多々あるので、これについては収入が多い方が有利な気がする。


すべてを自己責任だと考えているのも重要だと思う。そのことで自分を責めることはしょっちゅうあるけれど、まわりの環境にしてしまうよりも、自分次第だと考えるほうが精神衛生上いいんじゃないだろうか。自分次第。自分で決められる。ただ、子どもはコントロールできないと考えたほうがいい。PDCAサイクルなんて通用しない。昨日うまくいった方法が、今日には通用しない。コントロールすべき対象ではないと意識しておくことが、ストレスを生まないコツである気がする。

行政の支援

国や自治体から様々な支援が受けられる。以前は、母子家庭のみが支援されていて、父子家庭には支援がない状態だったようだが、それも今では改善されているとようだ。少なくとも春まで住んでいた福岡や、今住んでいる宮崎では母子家庭と父子家庭で支援の差は見つからなかった。また、福岡と宮崎でもそれほど大きな差はないように思う。まあ、名称が「母子」になってたりするけど、細かいことは気にしないタチなので。ここで行政の主な支援を並べてみる。



ひとり親家庭に限らず受けられる

児童手当

とくに説明はいらないと思う。子どもひとりにつき月額1万円か1万5千円が支給される。

修学援助

経済的につらい家庭は市の教育委員会から援助を受けられる。住んでる地域によって差があるかもしれない。福岡市や宮崎市では、給食費が全額免除、学用品や修学旅行の費用の一部が支給される。収入が多いと受けられなのだけど、ひとり親家庭児童扶養手当を受けていると対象になる。

学童保育

小学校の敷地内に保育施設があって、下校時間の後から夕方まで子どもをあずかってもらえる。福岡市だと高学年まであずかってもらえのだけど、宮崎市だと3年生までしかあずかってもらえず、しかも待機児童が多すぎて長女は土曜日だけしかあずかってもらえなかった。



医療費

母子家庭、父子家庭ともに受けられる

児童扶養手当

全額支給だと1人目約4万円、2人目プラス5千円、3人目プラス3千円という感じで手当が支給される。所得額に応じて、手当額は減る。ちなみにうちは一部支給なのだけど、支給日が来月なのでいくらになるかまだわからない。

ひとり親家庭医療費助成制度

家族全員の医療費を援助してもらえる。福岡市だと1医療機関での窓口負担が月に800円になる。宮崎市では、医療機関をまたがってトータル月1,000円の自己負担になり、窓口でいったん3割負担で支払って後で差額が振り込まれる。子どもだけでなく親の医療費も負担が減るので非常に助かる。



その他

その他、自分はすでに仕事をしてるので調べてない援助として、就職のための支援が受けられたりするらしい。また、宮崎市だと子育て応援カードというのがあって、いろんなお店でサービスが受けられるのだけど、これはまったく使っていない。各自治体によってその他いろいろあると思う。子どもが3人以上いる家庭に車を貸し出してる自治体もあった気がする。



金銭的な支援しか書いてない。実は行政の相談業務にはまったく期待していない。何度か相談に行ったことがあるけれど、部署間、施設館をたらい回しにされるだけだった。「専門家がいるので気軽に相談してください!」って言ってるけど、実際に相談してみると、専門家がいないということがわかる。民間だと保育も含めていろいろあるのだけど、費用的にはつらい。

パパのカレー

次女がお腹が痛いというので、会社を休んで病院に連れて行った。原因がまったくわからず、いったん帰宅。その夜、あまりに痛がるので救急病院に連れて行った。各種検査をした結果、急性膵炎だということがわかった。そのまま入院。低学年なので付き添いが必要だという。熊本から母に来てもらい家の方をまかせて、僕は病院で次女と一緒に生活することにした。どこにいても仕事ができる状況ではあるが、子どもを放置してパソコンに向かっているのもかわいそうなので、退院するまで会社は休むことにした。


はじめて次女とふたりきりでゆっくりと過ごす。この子はこんなこと言うんだ。こんな風に笑うんだ。いまさらながら、いろいろな発見がある。膵炎は治まるまで飲食ができない。看護師さんが「ごはん食べれるようになったら、何が食べたい?」とたずねる。「カレー」と次女。「どんなカレーが好き?からいカレー?あまいカレー?」と聞かれて「パパがつくったカレー」と答える。「お父さん!聞きました!?」とテンションの上がる看護師さん。ええ、聞いてましたとも。できない料理を毎日続けているのは感謝されるためではないけれど、たまにはこんなご褒美もいいなあと思う。

子どもたちからのラブレター

なかなか子どもたちに手をかけてあげられないなあと、自由人ながら多少は申し訳なく思っている。父親らしさって何だろう。あれ?母親がいないから母親らしさも発揮しないといけないのか。でも、そもそも「〜らしさ」という概念自体が好きではないし。などテキトーに考えているのだけど、子どもたちがパパ大好きだというのはいつも感じている。ペタペタと甘えてくる。長女なんて4年生なのだから、そろそろパパ嫌い!となりそうなところだけど、まだその気配はない。パパ大好きというのは言葉にして伝わるわけではなく、態度から伝わってくる。


ところが、ときどきそれを手紙として受け取ることがある。チラシの裏紙だったり、レターセットだったり、「ごはんつくってくれて、ありがとう」「いつもあそんでくれて、ありがとう」などと書いてある。なかなか泣かせてくれる。問題児のくせに。あるとき、雨の夜にひとり車で買い物に出かけた。少し肌寒く、フロントガラスが曇ってくる。すると目の前に「パパすき」という文字が浮かび上がってきた。こんなテキトーな親なのに、となんだかザワザワする。なんかすみません。ちなみに、さっき車に乗ったら目の前の文字は「うんち」に変わっていた。

シングルファーザーの子育て3

まあ客観的に見ると、ひとりで子ども3人の面倒を見るというのはなかなか大変だというのも分かる。メンタル的には平気だと言っても、やはり少しずつストレスはたまっていく。とにかく無理をしないというのが肝心だと思う。そもそも無理をするというのが好きではないし、無理をして動けなくなったら身寄りのないこの土地ではどうしようもなくなる。無理をしないコツは、絶対に欠かせないことをハッキリさせて、それ以外は手を抜くことだ。僕の場合は子どもたちに温かい食事を食べさせたいという唯一のこだわりがあるので、それだけはなんとかこなす。必ずしも手作りでなくても、たまにはスーパーのお惣菜や外食でもいい。とにかく温かい食事を用意する。その代わりに、調子の悪いときには掃除も洗濯もせずに部屋でグダっとなっている。すべてを完璧にすることよりも、折れることなく日々生き延びることのほうが重要だ。


ひとりっ子の方が楽なように思われがちだけれど、ひとり親になってみると、三姉妹でよかったなあと思う。僕が相手をできないときでも、子どもたち同士で楽しく過ごしている。むしろ、子どもたちの世界ができあがっていて、食卓で親が入っていく隙がないことすらある。ただひとつ困っているのが、悪さをしたときに責任のなすり合いをすることだ。バレないと思っているのだろう。でもそんなときには、こう考える。自分がやったと申告しないということは、悪いことをしたという意識があるという証拠だ。それなら、犯人探しをする必要はない。3人に向かって、こんなことをすると困ることになるからと言い聞かせる。どうせ3人に伝えなければならないことだ。無理やり犯人を探して叱るというものでもない。犯人探しは親自身にストレスがかかってしまう。


わりと自由に子育てをしてるので、小学校の教育方針とはギャップが生じる。それはそれだと割り切っている。小学校はおかしいなどと言うつもりはない。クレイジーな人たちが好きで、彼らの幼少時代について調べたりするのだけど、やっぱりクレイジーな人たちは小学校にいても突き抜けた行動をとっている。環境はどうでもよくて、その環境の中でどう振る舞うかが大切だ。家で自由にやってる分、家と学校の2つの世界を経験して、その中でいろいろな発見ができていいんじゃないかと思う。それは給食も同じで、給食でそれなりの栄養が摂れているだろうと期待して、家で多少手抜きだったりする。と言い訳してみる。


子どもが3人だと、個別にじっくり見てあげられないという難点がある。たまに2人を実家にあずけて1人だけを連れて出ると、あまりのおとなしさに驚かされる。最近、次女が2週間ほど入院をしていた。低学年なので昼夜付きっきりでなければならない。ひさしぶりに次女とゆっくりとした時間をすごし、ああ、この子はこんなこんな子なんだという発見の連続だった。普段からこういう時間をとれたらいいなあと思いつつ、慌ただしい毎日を送っている。


わが家にはテレビがない。小さい子をおとなしくさせるにはテレビが効果的なのだけど、保育園の年中くらいになると必要なくなるように思う。もちろん、子どもたちどうしで遊んでくれるからというのもある。テレビにはメリットもデメリットもあると思うが、日常では見られないものを見て刺激を得られるというメリットは魅力的だ。そろそろテレビがなくても適度な刺激を得られるように、iPadMacBookを活用する方法を教えていこうと思っている。ただ、どちらにせよ足りないのが、体験だ。できるだけいろいろなことを経験してもらいたくて、休日にはできるだけ外に出かけるようにしている。とくにクリエイティビティが高そうなイベントや展覧会は最優先で参加するよう心がけている。大人が感嘆するような体験をしても、子どもたちは驚かない。ただ、どうやって遊ぼうか考えている。それがクリエイティブだなあと感じたりする。また、去年は子ども向けのプログラミング教室を主催していた。参加したいという要望が増えてきたので、また再開したいと思っている。