自由すぎるシングルファーザーの頭のなか

自由に生きる三姉妹のシングルファーザーの頭のなかがダダ漏れ。

子育てのストレス

育児。育児、育児。してない。教育方針と言えば教育方針、方針などないと言えば方針などない。自分はよく変人扱いされるのだけど、みんな勘違いをしていて、いたって普通の人間だ。普通すぎて生きるのがつらい。だからこそ、子どもたちにはクリエイティブでクレイジーな人間に育ってほしい。もちろん、それによる弊害があることは覚悟している。


子どもはみんなクリエイティブだと言うけれど、本当にそうだと思う。そのまま放っておけばクリエイティブな人間に育つのだろう。それを、あれはダメこれはダメとか、あれしなさいこれしなさいとか、こうでなければならないとか、どんどんクリエイティビティを削り取ってしまう。それが普通の親だと思う。子どもにはまっとうに育って欲しいもの。でも、まっとうでなくてもいいからクリエイティブに育てたいのなら、クリエイティビティを阻害するようなことをしないというのが親の役目だと考えている。もともとクリエイティブなのだから。だから、うちでは基本的に「ダメ」と言わない。


この育て方には親にとって良い副作用がある。子どもがやってダメなことが少ないので、いちいち腹を立てずにすむ。子どもを叱る、叱ると言うより怒る、と親はすごいストレスがたまる。いったん「ダメ」だと口に出すと、ダメの対象となる行為だけでなく、ダメだと言ったのに言うことを聞かないことにたいしてストレスがたまる。そうして、どんどんエスカレートしていく。ひとり親に限らず、このストレスが様々な問題を引き起こす。それに、子どもの言動を逐一監視していたら、時間だって足りなくなる。それがまたストレスになる。


自由にやらせておけばいいのだと思う。食べ物で遊んでいたとしても、星のたくさんついたレストランのシェフも食べ物で遊んでいるようなものなので、それはクリエイティブな体験なのだ。壁や床に落書きしたとしても、どうせキレイに使ってもなぜか敷金は吹っ飛ぶので、超若手アーティストの活動を邪魔しないことの方が重要だ。子どもたちが自分たちの絵本に落書きしている現場を見て何もいわなかったら、「なんで怒らないの!?」と逆に子どもに驚かれた。落書きしちゃいけない、みたいな大人の固定観念に縛られて欲しくないだけなのだけど。もちろん、図書館などで借りた本には落書きすべきでない。


ただし、アパートの上の階で飛び跳ねるなど、まわりの人に不快な思いをさせる行為は叱っている。「人に迷惑をかけるな」というのは大人の嘘なので、言わない。誰も得しない迷惑に関してだけ注意する。食べ物を手でつかむのはOK。いろんな国や文化があるし。でも、口を開けてクチャクチャと噛むのはNGとか。家で叱らないでよそでやったらどうするんだと言われそうだけれど、子どもはそのへんをちゃんとわきまえてる。


放置している代わりに、食事や洗濯などの家事はある程度やっている。離婚する前は食事は専業主婦の母親の担当だったため、料理のスキルはほとんどない。それでもできるだけ栄養のバランスのとれた、とれたように見える、手作りの食事を出すようにしている。洗濯していない服を着まわすこともないし、きれいに、きれいかどうかはともかく畳んで片付ける。服の山から今日着る服を引っ張り出すこともないようにしている。


このへんはシングルファーザーのプライドみたいなものかもしれない。仕事も家事もちゃんとしたい的な。でも、子どもの相手をして、たまった家事を片づけると、かなり消耗する。仕事が手につかない夜もある。余計なプライドは持たない方が賢明なのだろう。それから、家事に関してはお金で解決できることも多々あるので、これについては収入が多い方が有利な気がする。


すべてを自己責任だと考えているのも重要だと思う。そのことで自分を責めることはしょっちゅうあるけれど、まわりの環境にしてしまうよりも、自分次第だと考えるほうが精神衛生上いいんじゃないだろうか。自分次第。自分で決められる。ただ、子どもはコントロールできないと考えたほうがいい。PDCAサイクルなんて通用しない。昨日うまくいった方法が、今日には通用しない。コントロールすべき対象ではないと意識しておくことが、ストレスを生まないコツである気がする。