自由すぎるシングルファーザーの頭のなか

自由に生きる三姉妹のシングルファーザーの頭のなかがダダ漏れ。

後悔しない生き方

幸せなことに、これまで大きな後悔というものをしたことがない。やっぱり唐揚げ定食にしておけばよかった的な後悔はたびたびあるのだけど、人生レベルで大きな後悔というのは今のところ経験したことがない。「離婚=結婚失敗」と考える人もいるかもしれないが、結婚も成功したし、離婚も成功したと思っている。学校も就職も転職もまったく後悔していないし、各地への移住も後悔したことはない。


さすがにこの歳まできて後悔がないというのは、ただ運がいいというよりも何かコツがありそうな気がする。人によっては人生の岐路に経ったときに、計算をして後悔しない方を選択するのかもしれない。けれども僕は将来は予測できないと考えているので、大きな選択をするときにはノリと直感だけで決めている。だから常にベストの選択をしているとは思えない。ポイントは選択をした後にあるような気がする。


プロスペクト理論というのがあって、同価値の2つの選択肢から片方を選択する場合、得たほうの喜びよりも失ったほうの喪失感のほうが大きく感じるらしい。つまり、選択肢が同価値であれば、どちらを選択しても後悔することになる。これが普通の人の心理らしい。ところが僕は、選択しなかった道はそもそも存在しないと考えている。そうすると、やっぱりあっちにしておけばよかったという考えそのものが浮かんでこない。


選んだほうの道で何をやるかにフォーカスするというのも大切だ。1組のトランプから1枚のカードを裏返したまま引いて、それがダイヤである確率を考える。もう1枚カードを引いて、今度は表を確認してみるとダイヤだった。さて、最初に引いたカードがダイヤである確率は変化するだろうか。なんとなく過去のアクションによって決定した確率が変化するはずはないという気がする。ところが、例えば13枚のカードを引いてすべてがダイヤであったとする。そうすると、最初に引いたカードがダイヤである確率はゼロになる。確率は変化するのだ。


おもしろい実験なので出してみたのだけど、僕はこれを「過去の選択が正しかった確率は現在のアクションによって変えることができる」ことを説明するのに使っている。どんな選択肢をとったとしても、いまベストを尽くすことによっていい感じの結果が得られれば、結果オーライなのだ。3人の子どものシングルファーザーとして頼る人のいない宮崎に移住するという選択は正しかったのか。それは、いまのアクションが決めると思っている。いまやっていることというのは、過去に引いたカードを確定する作業なのだ。そう考えると、どうやっても後悔しようがない。


だというのに、唐揚げ定食を選択しなかったことを後悔するのはどうにかならないものだろうか。