自由すぎるシングルファーザーの頭のなか

自由に生きる三姉妹のシングルファーザーの頭のなかがダダ漏れ。

三姉妹のシングルファーザー

シングルファーザーになって1年半が経った。どういう経緯でシングルファーザーになったのかは、ここでは触れないことにする。死別ではない。ひとりで3人も育てるなんて大変ですね、と言われる。まあ、大変ではあるけれど、想像しているほどではない。ひとり親に限らずなのだけど、「〜でなければならい」というのを捨てると、子育てのハードルは一気に下がる。しかも、未来は予測できないというスタンスなので、子どもたちを無理にどこかへ向かせようという気もない。気楽なものだ。


3人だと大変だろうと言われるのだけど、僕はひとりっ子のほうが大変だと思っている。3人いると子どもどうしで遊んでくれるので、親がつきっきりになる必要がない。夕飯は必ず4人そろって食べるようにしているが、最近では子どもたちだけで盛り上がって、僕は蚊帳の外にいることが多い。宿題の採点やもらってくるプリントが3人分になって処理しきれなくなる大変さはあるのだけど、子どもたちが寂しい想いをしていないというのは安心できる。


一人暮らしの経験がなく、料理はまったくできなかった。結婚してから台所に立つようになり、なんとか包丁とコンロ、フライパンと圧力鍋だけは使えるようになった。とくに圧力鍋は偉大だ。同じような材料を同じように調理すれば、最後の味付けだけ変えればカレーにもシチューにも豚汁にもなる。それが短時間でできあがる。なにより時間が貴重になるシングルファーザーにとっては、圧力鍋は無人島に持っていくもの第1位だ。


ひとり親世帯は貧困になりやすいという。他の人たちのようには仕事ができない。一方で、子育て世帯を積極的に雇用して短時間で高い生産性を生む企業もある。僕も会社の理解があってこそシングルファーザーでもフルタイムで仕事をすることができている。急に休みをとったり、早退したり。それを許容してくれる会社でなかったら、いまもフリーランスで仕事をしていただろうと思う。


僕の職種というのもシングルファーザーには有利だ。肩書は詩人であるが、仕事内容は主にプログラムを書く仕事だ。パソコンとネットさえあればどこででも仕事ができる。子どもが発熱でお休みのときには自宅で仕事をするし、病院で点滴を受けているときには病院でも仕事をする。仕事内容によってはパソコンさえ不要で、iPhoneだけで仕事を済ませることもある。それでもバタバタして自分も調子が悪いときには、遠慮なく休む。無理して仕事をしても、たいして生産性は上がらない。


女の子3人に囲まれているとさぞ騒がしいだろうと思われるが、たしかに騒がしさは半端ないのだけど、意外といまの生活で唯一テンションが下がるのが孤独感的な何かだ。孤独感的とずいぶん微妙な表現をしたが、孤独感と言ってしまうほど深刻でもないというニュアンスだ。夕方オフィスを出ると大人と会話する時間がなくなる。これが何気にジワジワくる。結婚している間に、家で友達と電話やメールをするという文化が失われてしまった。それに同年代の友達は家庭を持っていてメールしづらい。これだけが自由人である僕の唯一の課題だ。


最初に、死別ではないと書いた。覚悟して離婚して子どもたちを引き取ったので、こんなに気楽にやっていられるのだと思う。死別だとこうはいかなかったのではないかという気もする。震災でひとり親になった家庭の情報などを見ると胸が痛む。しかも父子家庭は母子家庭と違って支援制度がが整ってきたのがごく最近のことだ。震災による父子家庭には遺族年金が支払われない。とは言え、批判覚悟であえて言っておこうと思う。彼らを特例で救済しようという署名活動が行われているが、やむを得ない理由で離婚した父子家庭にも当然年金なんて補助はないわけで、そこは同じ条件なんじゃないかと思っている。よく聞く夫のDVで離婚したシングルマザーなんて救いがなさすぎると思う。もちろん、世界にひとりでもハッピーな人が増えることを願っているので、特例で救済されるのであればそれにこしたことはない。