自由すぎるシングルファーザーの頭のなか

自由に生きる三姉妹のシングルファーザーの頭のなかがダダ漏れ。

シングルファーザーの子育て3

まあ客観的に見ると、ひとりで子ども3人の面倒を見るというのはなかなか大変だというのも分かる。メンタル的には平気だと言っても、やはり少しずつストレスはたまっていく。とにかく無理をしないというのが肝心だと思う。そもそも無理をするというのが好きではないし、無理をして動けなくなったら身寄りのないこの土地ではどうしようもなくなる。無理をしないコツは、絶対に欠かせないことをハッキリさせて、それ以外は手を抜くことだ。僕の場合は子どもたちに温かい食事を食べさせたいという唯一のこだわりがあるので、それだけはなんとかこなす。必ずしも手作りでなくても、たまにはスーパーのお惣菜や外食でもいい。とにかく温かい食事を用意する。その代わりに、調子の悪いときには掃除も洗濯もせずに部屋でグダっとなっている。すべてを完璧にすることよりも、折れることなく日々生き延びることのほうが重要だ。


ひとりっ子の方が楽なように思われがちだけれど、ひとり親になってみると、三姉妹でよかったなあと思う。僕が相手をできないときでも、子どもたち同士で楽しく過ごしている。むしろ、子どもたちの世界ができあがっていて、食卓で親が入っていく隙がないことすらある。ただひとつ困っているのが、悪さをしたときに責任のなすり合いをすることだ。バレないと思っているのだろう。でもそんなときには、こう考える。自分がやったと申告しないということは、悪いことをしたという意識があるという証拠だ。それなら、犯人探しをする必要はない。3人に向かって、こんなことをすると困ることになるからと言い聞かせる。どうせ3人に伝えなければならないことだ。無理やり犯人を探して叱るというものでもない。犯人探しは親自身にストレスがかかってしまう。


わりと自由に子育てをしてるので、小学校の教育方針とはギャップが生じる。それはそれだと割り切っている。小学校はおかしいなどと言うつもりはない。クレイジーな人たちが好きで、彼らの幼少時代について調べたりするのだけど、やっぱりクレイジーな人たちは小学校にいても突き抜けた行動をとっている。環境はどうでもよくて、その環境の中でどう振る舞うかが大切だ。家で自由にやってる分、家と学校の2つの世界を経験して、その中でいろいろな発見ができていいんじゃないかと思う。それは給食も同じで、給食でそれなりの栄養が摂れているだろうと期待して、家で多少手抜きだったりする。と言い訳してみる。


子どもが3人だと、個別にじっくり見てあげられないという難点がある。たまに2人を実家にあずけて1人だけを連れて出ると、あまりのおとなしさに驚かされる。最近、次女が2週間ほど入院をしていた。低学年なので昼夜付きっきりでなければならない。ひさしぶりに次女とゆっくりとした時間をすごし、ああ、この子はこんなこんな子なんだという発見の連続だった。普段からこういう時間をとれたらいいなあと思いつつ、慌ただしい毎日を送っている。


わが家にはテレビがない。小さい子をおとなしくさせるにはテレビが効果的なのだけど、保育園の年中くらいになると必要なくなるように思う。もちろん、子どもたちどうしで遊んでくれるからというのもある。テレビにはメリットもデメリットもあると思うが、日常では見られないものを見て刺激を得られるというメリットは魅力的だ。そろそろテレビがなくても適度な刺激を得られるように、iPadMacBookを活用する方法を教えていこうと思っている。ただ、どちらにせよ足りないのが、体験だ。できるだけいろいろなことを経験してもらいたくて、休日にはできるだけ外に出かけるようにしている。とくにクリエイティビティが高そうなイベントや展覧会は最優先で参加するよう心がけている。大人が感嘆するような体験をしても、子どもたちは驚かない。ただ、どうやって遊ぼうか考えている。それがクリエイティブだなあと感じたりする。また、去年は子ども向けのプログラミング教室を主催していた。参加したいという要望が増えてきたので、また再開したいと思っている。