自由すぎるシングルファーザーの頭のなか

自由に生きる三姉妹のシングルファーザーの頭のなかがダダ漏れ。

持たない

こだわりや固執というものがほとんどない。食べ物でも着る物でも、いつも適当に済ませている。「〜しなければならない」「〜でなければならない」といったとらわれがほとんどない。そうでなければならないということを、本当にそうでなければならないのかと考えてみると、大抵の場合は答えはノーになる。


「〜しなければならない」「〜でなければならない」という思い込みにがんじがらめになっている人は多いんじゃないだろうか。僕はこれを「バラエティサンドのジレンマ」と呼んでいる。サンドウィッチを端から順番に食べていると、順番を飛ばしていきなり真ん中を食べることに抵抗を覚える。自分で勝手に決めたルールで自分をしばってしまっている。


常識だから従わなければならないと思い込んでいる人もいる。でもそれは誰の常識だろうか。どこの世界の常識だろうかと考える。考えると、必ずしも従うべき常識ではないのかなという気がしてくる。子どもがいると大人の常識で叱ってしまいそうだけど、彼女たちは彼女たちの常識で生きているのだから、大人の常識を押し付けるのはよくないなあと思う。もちろん大人どうしでも常識は人それぞれなのだから、押し付けたりぶつけ合ったりするものではない。


僕は人と比べるとブレーキを踏まないことが多いかもしれない。思いついたら走り始めている。ブレーキは踏まない。巻き込まれて迷惑をこうむる人がいるかもしれない。でも「他人に迷惑をかけるな」というのは嘘だと思っている。ただ生きているだけでも誰かに迷惑をかけている。それを見て見ぬふりをしているだけだ。もちろん明らかに嫌な思いをさせるとわかっているときにはやらない。なんとなく迷惑がかかるんじゃないかという漠然とした不安ならやる。迷惑をかけないようにとブレーキを踏むことは、それをやることでメリットを得られる人にとっては機会損失になってしまう。それは、もったいない。


ひとつの考えに固執しないから、僕の言っていることは毎回変わる。状況は常に変化し続けているのだから、言っていることが変わらないことのほうが異常だと思う。


とここまで書いたところで、この持たないということに対してすら固執しているわけではないので、何かにこだわっている人というのもそれはそれで素敵だなあと少し憧れたりもする。まあ、どっちでもいいんじゃないだろうか。