自由すぎるシングルファーザーの頭のなか

自由に生きる三姉妹のシングルファーザーの頭のなかがダダ漏れ。

生まれつきノマド

転勤族の家に生まれた。毎年年度末には「今年は引っ越しするのかねえ」「次はどこに行くのかねえ」という会話が日常的に交わされていた。小学校へ上がるときに引っ越しをして、3つの小学校と2つの中学校に通った。移動するということが当たり前だった。転勤族というのは遺伝するものだろうか。社会人になった僕はあいかわらず移動を続け、平均すると2年に1度は引っ越しをして、4つの会社とフリーランスを経験した。


なにごとにも固執しすぎない性格や、どこでもやっていけるという自信は、このノマド生活のなかで培われたのだろうか。3人の子どもをひとりで育てながら頼れる親戚もいない宮崎への移住。それをノリと直感で決断した。この決断も、これまでのノマド生活があってこそだ。チャンスがあれば、どこへでも行く。地方では地元を離れたくない人も多いようだけど、そこに固執しすぎてしまうとチャンスを逃してしまうんじゃないかと思う。


移動というのは、大きな移動だけではなくて、日々の生活においても移動を重視している。家に引きこもって作業や読書をすると落ち着かなくて、カフェを転々としながら作業をしたりする。オフィスでは休憩スペースにMacBookを持ち込んで仕事をしたり、机の下にもぐりこんでプログラミングに没頭したり。会社に内緒でオフィスを飛び出してカフェで仕事をすることもあった。まあ、ここに書いたことで内緒でなくなってしまったのだけど、僕がオフィスにいなくても探さないでください。


こんな感じなので、とにかく根を張りたくない。持ち家なんてとんでもない。生涯で支払う賃貸住宅の家賃の総額は、家を購入するのとそれほど変わらないらしい。それならば、買ったほうが家が残るからいいんだという人もいるけれど、僕はその土地に縛り付けられるというデメリットがあまりにも大きいと感じる。それに、現在のままのペースで新築をつくり続けると2040年には空き家率が43%に達するらしい。いま高額のローンを組んで買わなくても、そのうち家はあまるのだ、と客観的に考えている。


引っ越しを繰り返しているので、子どもたちも保育園や小学校を転々としている。もちろん不安がないわけではないので気をつけて観察しているのだけど、それぞれの土地でうまくやっていけているようだ。将来は予測できないと考えているが、これからは移動しないことのほうがリスクが高いのではないかという気がしている。3.11以降はとくにその思いが強くなったかもしれない。子どもたちは、日本という国にすらとらわれずに、いろんな国で過ごして欲しい。そのうち、地球以外の選択肢も出てくるんじゃないかとも思いつつ。